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イワナばなし1

そんなに釣りが好きならと、父親から知り合いが出していたという同人誌が送られてきた。
昭和43〜48年までの貴重なエッセイ。
釣り人が増えたのか、環境が激変したのかワカランが、「天然もの」が釣れない今ではうらやましい、「良き時代の釣り」の記録として。

ここに個人名など伏せて、記録のために残したい。
著者は大正生まれとのこと。
ガリ版のため一部不鮮明な文字は○で表記。


イワナとの出会い
私とイワナとの出会いは、厳粛に言えば、小学校六年の夏。飛騨の川面村でのことであるが、魚が小さかったためもあって、えらく○魚だなぁという以外、ハッキリした印象はない。私の生家は、中山七○のなんなかの、中山の里で、ちょうど、高山線の飛騨金山駅下呂駅の中間あたり旧中原村の小さな部落なのでこの辺の川すじのことは大体わかっているのだが、ついぞ、イワナにお目にかかったことがない。下呂町の旧中原村との境界あたりに、茂谷というのがあり、これは中原村最高の千米を越す「八尾山」から出ているだけに、地元の人でも、気味悪がって、深くは入らなかったほどの暗い谷だが、五六年前までは驚くほどアマゴがいた。
「必ず五十匹は揚げる。」と豪語した私に、「五十を越したら、ヒックリカエルほど飲ませる」とカケた弟の手前もあって、一所懸命頑張ったのだが、最後の一匹がどうしても釣れなくて、四十九匹で兜を脱いだことがあり、シロウトの私ですら、これほどだから、よっぽど居たに違いない。が、この谷ですら、どれだけ奥へつめても、イワナ(このあたりではそーたけという。茸の変化とでも思われたのだろうか)を見なかった。
ところが、この谷から、益田川一つ、二つ上流の谷へ入ると、ここいらにはアマゴに交じってイワナの影を見る事が出来た。
この近くに下呂小学校があり、兵隊にゆくお別れに、小学校教官だったおじ夫婦を訪れた時、学校の裏の谷で、形のいいイワナを何匹も釣ったが、これが本当にイワナにお目にかかった最初であろう。
ここはもう街並であり、益田川は目の前だから、谷としては最下流であり、そこにイワナがいること、せいぜい4料(?)か5料(?)のへだたりのなかでの、この変化には、少なからず興味を持ったが、勤務先が飛騨高山であってみれば、どうしようもない。気にはかけながら、たまの休暇で帰省するたびに、釣り糸を飛ばすだけの谷○谷でしかなかった。ただただ益田川に於けるイワナの南限は、このあたりではないかと思っている。
アマゴのいる川は、太平洋に入るものと限られているようだが(琵琶湖に入る鈴鹿山系の愛知川にもいる)イワナは、太平洋・日本海のいずれの側の谷にもいる。だが、水温の高いところは住まないようだ。増田郡から大野郡へ遡った益田川沿いの大きな谷では、下流にアマゴ、中流にはイワナ・アマゴの混生、上流にイワナだけがいるのが普通だが、比較的小さな谷には、アマゴだけのところが多いようだ。久々野の有○(ウト)谷の中流でイワナにアマゴ特有の朱点の入ったのを釣ったことがある。イワナとアマゴの混血であろう。だとすれば、両者の改良種で棲息範囲の大きなものの○現も可能であろう。
面白いのは、美女峠の原っぱで野営した時、南側と北側へ同じように下ったあたりで、南でアマゴ・北でイワナを釣ったことである。その夜は太平洋と日本海の味を賞味した。これは美味かった。飲めぬ私ではあったが、焚き火であたためられた酒は、しみ○るように、こころよく身体に廻ったものである。

昭和43年9月発行